展覧会解説

ポルディ・ペッツォーリ美術館の傑作

 

ポルディ・ペッツォーリ美術館は、ヨーロッパでも有数の豪華な邸宅美術館。そこには、ミラノの由緒ある一家であるポルディ・ペッツォーリがコレクションした300点以上の絵画、彫刻、調度品が展示されている。ミラノ有数の貴族ジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリは、祖父からパルマのポルディ家の、祖母からはベルガモの貴族ペッツォーリ家の莫大な遺産を相続し、さらにミラノ有数の貴族トリヴルツィオ家との婚姻関係によって、ポルディ・ペッツォーリ家のコレクションは充実した。ジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリ(Gian Giacomo Poldi Pezzoli)の母親が亡くなり、一家のコレクションを彼は24歳の時に相続している。

その後彼はヨーロッパ中を旅行しながらさらにコレクションを広げ、17世紀に建てられたミラノの美しい邸宅改装して「すべての美術品は永久公開されるもの」という遺言を残して亡くなり、1881年4月25日にこの美術館がオープンした。イタリアでは一般的に月曜日が休館だが、ここは火曜日が休み。

 

ピエロ・デル・ポッライオーロ“若い女性の肖像”1470頃45.5×32.7ポルディ・ペッツォーリ美術館

 

<ポライウォーロ兄弟(兄1431頃―1498)(弟1443-1496)フィレンツェの鶏肉屋(ポライウォーロ)の息子達アントニオとピエロはほとんど兄弟一組で仕事をしている。兄は金細工師・彫刻家としてスタートし、弟ピエロは画家だった。ピエロは優れた肖像画を描いた。ポライウォーロ兄弟は人体の表現のために熱心に解剖を試み、動いている男性の肉体表現が得意で多くの画家たちに影響を与えた。また北方の影響の風景描写にも関心を持った。>

この作品は、美術館を代表する作品。雲が所々に浮かぶ青空を背景に、伝統的な横顔の肖像で、細い黒い輪郭線で描かれた女性がくっきりと浮かび上がっている。

*イタリアの伝統 側面像(プロフィール)。これは古代のメダルの伝統を引き継いでいる伝統的な肖像の描き方。

女性の淡い肌色と背景の青空の対照(コントラスト)、画面に独得の調和を与えている。

繊細な真珠のジュエリーと薄いヴェールで束ねられたヘアースタイルをしていて、胸元には真珠と黒真珠にトップにはルビ―が付いたネックレスを付けている。

胸元の宝石には意味がある。真珠は純潔を表し、ルビ―は愛の情熱を表す。女性の婚約の際に描かれた肖像画と思われる。

衣装の袖には、花模様が施され、衣装と装飾品の豪華さから、15世紀フィレンツェの上流階級の女性であると思われる。この作品の真珠の輝きや繊細な髪の表現など、北方の絵画の影響がある。

描かれた女性に関して、かって修復した際に消されてしまったが、パネルの裏の銘文には、フィレンツェの銀行家ジョヴァンニ・デ・バルディの妻とあったが、他にもマリエッタ・ストロッツィ、またはベルジョイオーソ家の女性など、さまざまな女性の可能性がある。

この作品の作者は、一般的にピエロ・デル・ポッライオーロといわれているが、または彼の兄アントニオともいわれている。ドメニコ・ヴェネツィアーノ、ピエロ・デッラ・フランチェスカの名も挙がっていた。

 

ボッティチェリ”聖母子(書物の聖母)“1482-83頃テンペラ 58×39.5ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館

<ボッティチェリ(1444-1510) ボッティチェッリの特徴は繊細優美な線描。これは師リッピから受け継いだもの。当初は、遠近法にも解剖学にも通じた時代の最先端を行く画家だった。☆ボッティチェッリは、このように革新的な初期、(“春”のような)ゴシック的な成熟期、宗教的感情を表す晩年と画風が変わっていく。成熟期の変化は、彼の独自性を生かし、ゴシック的な線や繊細な装飾的な美しさも追及したいと思っていたからと考えられる。(松浦孔明) ☆ボッティチェッリは、1490年代から晩年の様式に向かい、ドラマティックな宗教性の強い表現と変わっていく。>

 

窓辺に座る聖母は、膝の上の幼子キリストに文字を教える仕草をしている。机の上の書物は、時禱書だが、その書かれている文面は不明。

幼子キリストは将来の受難の道具である茨の冠や釘を持ち、聖母を仰ぎ見ているが、これは自分の死の意味を聖母に問いかけているよう。それに対し、聖母は幼子の将来を憂えて物憂げな表情をすることしかできない。

◎この作品の聖母子の内面性の表現は、内面性の表現や交流に優れたレオナルドの聖母子の影響を受けている。

聖母の透明なヴェールや(慈愛を表す)赤のドレスの胸元の襞は、師フィリッポ・リッピから受け継いだ表現。

受難の道具や聖母子の光輪など、黄金の繊細な線が見事。聖母の左肩にある星は、海の星と称えられる聖母を象徴している。

果物が盛られた見事な描写の静物も注目点。

さくらんぼー天国の果実で天を象徴、いちじく―禁断の木の実、プラムー忠実・誠実の象徴

金やラピスラズリという高価な素材が多用されていることから、注文者は裕福であったことがわかる。

 

 激しい宗教的感情の表現へ

ボッティチェッリ”ピエタ“1495頃 テンペラ 107×71 ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館

ボッティチェッリの後期の宗教的感情が大きく表れている傑作が、このピエタ。

◇1490年頃の画家の画風の変化とは  1481年にドメニコ会修道士サヴォナローラがフィレンツェのサン・マルコ修道院にやってきた。サヴォナローラは「現世の快楽を求めていると神罰が下るぞ」と熱狂的な説教をし、当時の人々は動揺した。教会の堕落とメディチ家支配のフィレンツェの享楽性を批判するサヴォナローラの説法が激しい興奮を生み出していた。メディチ家のプラトンアカデミ―の文化人やミケランジェロなどもサヴォナローラに影響を受けたという。

このフィレンツェの宗教的熱狂に対するボッティチェッリの反応がこのような画風の転換となった。均整の取れた人物表現より宗教的内面性を重んじるようになる。そこでルネッサンス的なバランスのとれた理想的肉体を捨て、重要なものが大きく描かれるという中世的な手法に立ち戻っている。

◎キリストを囲む人々の激しい嘆きと苦悩が強烈に伝わる作品。この感情を我々に伝えるために画家は、全身で悲しむ人々を絡み合わせ、それは凝縮され大きなエネルギ―を放っている。

十字架を形つくる人々をなぞりながら、我々の視線は上へ向かう。そしてキリストの磔刑の際の釘と茨の冠を持って、キリストの死の意味を問いかけるような視線を天へ向ける絵の頂点のアリマタヤのヨセフへ導かれる。ここがこの作品の悲しみの頂点。

*アリマタヤのヨセフーキリストの遺体を引き取るとローマ総督ピラトに申し出た身分の高い議員。

アリマタヤのヨセフの下では、聖母は膝の上にキリストの遺骸を抱いて悲しみのあまり失神している。それを12使徒の福音書記者の聖ヨハネが、必死に支えている。

◎ここで聖母の体は引き伸ばされている。聖母の両脇の二人の女性はキリストに従った3人のマリアの2人。(もう一人のマリアがマグダラのマリア)

左下には(この上なく優しい仕草でキリストの足に頬を寄せる)マグダラのマリア。

*マグダラのマリアー必ず傍に香油の壷を持って現れる。マグダラのマリアはキリストの足に香油を塗って、罪を悔い改めた元娼婦とされている。

 

この作品に込められた激しい宗教的感情は、”泣き虫派“だった注文者のドナート・ディ・アントニオ・チオーリの宗教的感情を強く反映している。決してボッティチェッリがサヴォナローラの影響を受けたのではなく、あくまで冷静に時代を映していた。

*泣き虫派( ピアニョーネ)サヴォナローラの熱烈な支持者たち

 

展覧会解説

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